2025年1月1日に起きた石川県の能登半島の大地震。
我が家は隣県の富山県ですが人生初の震度5という大きな揺れを経験しました。
富山県民は意外と「立山神話」を信じていたりします。
“富山県は立山があるから災害は起こらない”
そんなもの信じていないよ!なんて口では言っていても、たぶん防災意識は他県に比べるとメチャメチャ低い人が多いと思います。
今回は、そんな立山神話って何?っていうお話と、能登半島の大地震で初めて大きな地震にあった我が家の様子。
そして、急遽そろえた防災グッズを紹介したいと思います。
富山民が信じる“立山神話”とは?
子供や、他県のひとに言うといつも笑われるのですが、富山県人は「立山神話」を意外と信じていたりします。
「立山は富山を守ってくれている」
「“立山連峰”があるから富山は災害が少ない」
実際、台風直撃の予報が出ても、直前で台風が回避していったり直撃を免れたり。
今までも能登で地震が起きても、富山にはそんなに大きな揺れはなかったり…
部分的には大雨や大雪で被害にあう場所はあるものの、地震は年に一回揺れるか揺れないか。
揺れても震度1とか2。
台風直撃!といわれて家の周りを片付けて準備万端にしていても、局所的には被害はあれど、あれ?思っていたほどじゃなかった…とか。よくあります。
(雪国なので大雪は数年に一度頻度ではありますが…。)
台風や地震の被害が少ない度に富山県人は
「やっぱり立山(タテヤマ)が守ってくれた」と言います。
タテヤマとは立山連峰のこと。
最近はX(Twitter)などでも立山連峰のきれいな写真が話題になることもありますが、その立山です。
20代の子供たち世代になると「何言ってるの?やばいやばい(笑)」って感じですが、40代50代以降は笑って言いながらも内心は“ちょっとはそれあるよね”って感じ。
たぶん大きな災害が少ない県。っていう自覚はあるので防災感覚は低く、我が家のように今回の地震で慌てて防災グッズを揃えようかな、って思ったおうちも多いと思われます。
2024年の能登半島大地震での富山県の我が家の様子
今回の2024年元旦の能登半島大地震の富山県民の我が家の家族の様子を覚え書きがてら書き残そうと思います。
1月1日の我が家の地方の震度は震度5弱。
まず最初は震度3程度の揺れを感じました。
2階にいた私と大学生と高校生の子供は最初は「揺れてる?」って感じ。
携帯のアラームが鳴ったので一応テレビをつけNHKのニュースを見る。
そうこうしているうちに、再度揺れ始め、2階の本棚やスチールラックが揺れ始めます。
タンスの上にあった写真立てや引き出しも落ちそうになり、娘が慌てて下におろします。
わたしも本棚やラックを押さえながら、「やばいやばい。テレビも倒れるんじゃない?」
そんな中、NHKのアナウンサーさんの「津波が来ます!皆さん、逃げてください!」と叫ぶ声が聞こえました。
我が家は津波の心配はない地方ですがあのアナウンサーさんの声で、「これは相当やばい。大きな地震なんだ」と感じ、
ここで、やっと私も危機感を感じ
「みんな、無理だと思ったら、部屋の中はいいから逃げるよ!」と声かけ。
もう、逃げよう!と思ったところでやっと大きな揺れは収まりました。
そこからはもう私も子供も必死です。
とにかく、子供には自分の服、貴重品(お年玉をたくさん持っていた)を準備させ、私も万が一のために、通帳、お金、服、をかき集め1階におろし。
次の大きな余震が来るまでに眼鏡、薬、犬のシート、犬のおむつ、犬のえさ、カイロ、など気づいたものからいろいろとかき集めていきました。
人生初のマジモードでの避難グッズ集め。
後で中見たら、絶対に“これなに入れてるの~?”って苦笑いするもの入っているだろうな…と思いながらも必死でかき集めました。
が、そんな必死な私と子供たちが1階に下りて行ってみた光景は…
ぺらっぺらのシャツと、トレパンを履いて寝転がって地震速報を見ている旦那と、「大きい地震だったね~」と言って座っている80歳の義父母達でした。(驚)
こんなに大きな揺れが来ても“大丈夫だろ。もうあとは来ても余震だろ”みたいな…
なに準備してるん?どこか旅行でも行くんか?みたいな???
あ~、やっぱり富山県人は平和ボケしてるんだな~、
家族を守ろうとか、家を守ろうとかって感覚は起きないんだ。って軽く絶望しましたね。
友人のお宅でも、もう大丈夫だろ、酒のむわ。って晩酌し始めた旦那を見て、あ、家族を守ろうとかいう意識はないんだ…と絶望したって話も聞くし、地震のあとも、まだたまに余震がある中でも新年会してるところもあったり、2日からパチンコに行ったとか聞くと、感覚の違いが如実に表れた地震だな~と思わされます。
そんな中、とにかく私と子供は数日は寝るときもすぐに逃げれるように暖かい普段着に靴下を履いて寝ました。
お風呂も最後はお湯をぬかず水をためておきました。
そして、1日、2日はたまに来る余震や警報アラームにおびえながら、お正月用に買いだめしていたものを食べ、とにかく外出せず家でおとなしくしていました。
3日目になり、近所のスーパー兼ホームセンターに行き、水、カップラーメン、パン、お米、お菓子、ジュース、食料品、犬用のえさ、おむつ、ふき取りシート、などを多めに買い込みました。
私が行ったお店には水はたくさんストックがあったようでお店の人は一生懸命山積みに積んでいました。
でも被災地から水を探していろんなお店を回ってきた方は、「ここにこんなにたくさんお水があるなんてびっくり。もうどこも売り切れなのに。みんなに連絡します」みたいなことをおっしゃっているのが聞こえて、やっぱりそうなんだ。とあらためて危機感を募らせました。
4日目。
余震の数は少なくなってきたものの、まだ揺れが続きます。
ずっと購入を迷っていたカセットコンロと電気がいらない石油ストーブを買いました。
避難するまではならないとしても、いつ停電になるかもわからないと感じたからです。
5日目くらいになると、余震はあっても被害の無い私たちの地域でも品薄だったホームセンターやスーパーのブルーシートや水タンクなども徐々に補充され始めました。
やはり、被災地は局部的で、全国的には物はあるので、商品は集まってきているようでした。
ただし、奥能登のほうは普段でも行くのは山があり、道も少なく隣県の私たちでも遠く感じる場所。
なおかつ、道も陥没し、山も崩れて…というのを聞くとこれは救助も困難だろうし、震源地近くの避難所に物資を届けるのは相当困難だろうな、大丈夫かな…と。
車が渋滞していて自衛隊も渋滞にはまって助けに入れないと聞くと、「やっぱりそうだよね…そうなるよね…」という思いしかなく。
SNSや某議員さんが国は対策が遅いだのなんだの、騒いでいるのを聞くとそうじゃないのよ!救助を邪魔しないで!一緒になんとか力を合わせて協力しようという気はないの?パフォーマンスはいらないのよ!と逆にイライラしている自分がいました。
1週間ほどたつと、大きな余震もほぼなくなりたまにかすかに揺れる程度になりました。
今は、集めた避難グッズを整理して1階の部屋に集めておこうかなと思案中。
まだまだ予断は許しませんが、今の状況はこんな感じです。
今回の地震で買いそろえた防災グッズ
今回の能登半島地震にあってから買いそろえたもの覚え書き
まずは「水」
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カセットコンロ
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石油ストーブ
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犬用シート
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犬のマナーウエア
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【この後揃えたいものリストアップ】
防災用簡易トイレ
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ソーラーパネル付きポータブル電源
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まだまだ揃えたいものが出てくると思うので、防災の意識が低くならないうちに、防災用品を揃えていきたいと思います。
まとめ
今回の震災で分かったことは、震災が起きてから2~3日は救助の手が回らないからこそ「自助」で自分たちの2~3日分の蓄えが必要ということ。
2~3日を乗り切れば、大きな災害があったとしてもなにかしら援助の手が来る。
もしくは地域の防災機能が生き始める。だから、「自助」で家での備蓄、防災グッズが必要ということ。
今までは、「自助」ってどういうこと?国は助けてくれないの?と心のどこかで思っていたけど、「自助」の意味がよく分かった気がします。
もう無いに越したことはないけれど大きな災害に備えてちゃんと備えていこうと思います。